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02:41:15 | | page top↑
月の裏側 7
2006 / 08 / 14 ( Mon )
佐伯はコンビニでスナック菓子を幾つか買うと
コンビニ内ではなく、店を出た後、
小さな酒屋の前に置かれた自販機でビールを数本購入した。

啓祐は酒が飲めない。
飲めないのかどうなのかも本当のところは定かではない。
彼は飲酒というものをこれまでにしたことがなかったのだ。


母親はもう出かけたあとのようで
家には誰もいなかった。
玄関の戸を開けると同時に、むわりとした風が啓祐に襲い掛かる。

彼は慌ててリビングのクーラーのスイッチを入れた。

勢いよく風が吹き出す。



佐伯が買ったビールをとりあえず冷蔵庫に突っ込み
まずは麦茶でも出そうかと思った啓祐を佐伯が咎める。

「茶を飲んだあとにビールなんて勘弁してくれよ。」


そういうと佐伯は、ビールを寄越せと云わんばかりに
啓祐に右手を差し出した。

「・・ほんとに、飲むのか?」
「おまえも飲めよ。」
「・・・俺は・・いいよ。」
「相変わらず、お堅いねぇ。」


佐伯が鼻先でふふん・・と笑ったことに
啓祐の胸の奥が小さくざわめく。


それはあの日の美佳を思い起こさせた。
煙草の煙に噎せた自分を、可笑しそうに笑った美佳。


啓祐は冷蔵庫から2本の缶ビールを取り出すと
「一本、貰うぞ。」と佐伯に言った。


佐伯はそれを苦笑しつつ眺めていたが
リビングのソファにどっかりと腰を下ろすと
黙ってビールを飲み始めた。

幾分痩せたように見える横顔だった。



「おまえ、きったねーな。この鞄。」

リビングのソファに置いた啓祐の鞄を脇へと退かしながら
佐伯が呟いた。

「鞄、他にないのかよ。」
「・・ないよ。」
「鞄ぐらい買えよ。これ、中学の時からずっとだろ。」
「別に・・必要ないし。使い勝手はいいし。気に入ってるし。」
「これがぁ?もうボロボロだぜ、ここなんか破れてるし。」
「いいんだよ。まだまだ使える。」


それは、中学の入学時に母親に買ってもらった鞄だった。
使い勝手は確かに悪くは無かったが、
それほど気に入っているわけではない。
しかしそれしか持っていない彼は、何処へ出かけるにも
その鞄を持って出た。

新しい鞄が欲しいと思ったこともあった。
けれど、一人で鞄屋に行く勇気がなかった。
かといって、高校生になってまで母親と買物にでかけるのも恥ずかしかった。

いつか佐伯にでも付き合ってもらって
一緒に買いに行こうかと思っていた矢先に
突然佐伯から鞄のことを持ち出され、
啓祐はつい心と反対のことを言ってしまった。




初めてビールに口をつけた啓祐は思わず顔を顰める。
(苦い・・) そう思った。
しかしそれを言葉にすれば、また佐伯が愉快そうに笑うだろう。

啓祐は無理矢理に喉の奥へと琥珀の液体を流し込んだ。



「おいおい・・そんな一気に飲んで大丈夫かよ?」


啓祐の飲みっぷりに佐伯は思わず声をかける。


「・・平気だよ。」
「ならいいけどさ。無理して急性アルコール中毒とかゴメンだからな。」


大人はこんなまずい飲み物を上手そうに飲んでいるのか、と
内心啓祐は思った。
しかし、目の前の佐伯は、実にうまそうにビールを飲んだ。
啓祐がコップに半分のビールを飲むのに四苦八苦している間に
彼はもう、2本めの缶ビールを冷蔵庫から取り出し
プルトップを引き抜いたところだった。



「近況はいかがですか?」

佐伯はやけに他人行儀に、啓祐にそう尋ねた。


「・・別に。毎日なんてことないよ。」
「そか。」
「・・佐伯はどうなんだよ。」
「俺か。」
「学校にも出てこないまんま、夏休みに入っちゃったしさ。
 風邪、こじらせてたのか・・?」


事情聴取のことを訊いてみたかったが、
それは美佳との約束で訊くことはできなかった。

美佳は誰にも言わないことを前提に、啓祐に佐伯のことを話したのだ。



「風邪・・・な。酷かったねぇ。」
「・・・そうなんだ。」
「夏風邪というのは、タチが悪いからな。」
「・・うん。」




カレーの出来上がりを告げる電子レンジのチンという音が
リビングに響いた。

今夜の啓祐の夕飯だった。

幸い、炊飯器に米は炊かれていて
啓祐はそれを器に盛ると、レトルトのカレーをゆっくりとかけた。


「ごめん、俺、飯食うけど・・おまえ、どうする?」
「飯って・・それか?」
「うん。」
「俺はいいよ。スナック菓子でも食ってる。」
「そっか。」
「家族の人は、どっか行ってんの?」
「なんか急に誰か死んだらしくて、通夜に行ったよ。」
「へぇ・・」



佐伯が黙り込んだことで、啓祐も黙り込んでしまった。


“死”という言葉が、隣町の女子高生の水死体を思い浮かばせる。


殺されたその女子高生と佐伯が付き合っていたと美佳は言った。
そして佐伯は殺人容疑をかけられているのか、
警察の事情聴取を受けたらしいことも。

啓祐は、その真相を、佐伯自身に問いただしてみたい衝動に駆られる。

その衝動は、美佳の細い指が自分の小指に絡められた
あの時の気持ちにどこか似ていた。

抑えきれない― と、いう点で。




目の前の景色がぐらりと急に奇妙に歪んだ気がして
啓祐はハッとする。

酔ったのだ。

しかし“酔う”ということが初体験の彼にとり
この奇妙な感覚に、なんともいえない至福感を味わう。

心の奥底で、別にいいじゃないかと誰かが囁いた。
美佳から聞いたのだと言わなければいい。
自分は何処かで偶然そういう噂を耳にしたのだ、と。



「おまえ・・小島美佳にどんな手紙貰ったんだ・・?」

ふいに佐伯が口を開いた。
啓祐の心臓が激しくドキリと音を立てる。

まるで美佳が自分の感情を見透かして
佐伯を使って牽制したかのようだと思った。


「どんな・・って。別にたいした手紙じゃないよ。」
「ラブレターだったんだろ?」
「・・違うよ、そんなんじゃないよ。」


そう否定してしまってから、啓祐は(しまった)と思った。
ラブレターであることにしておけば
その内容を事細かに説明する必要もなかっただろうと思ったのだ。

ラブレターでないとすれば、
何故わざわざ、小島美佳が啓祐に手紙を渡す必要があったのか、と
佐伯は思うだろう。

事実、その通りになった。



「ラブレター以外の手紙ってなんだよ?」





啓祐は黙り込んでしまった。
この手の会話の流れに慣れていない啓祐には
咄嗟に嘘をつくことも、ごまかすこともできなかったのだ。

沈黙は奇妙な間となり、2人を膜のように包み込んだ。


「別に・・・」
「別に、なんだよ?」
「・・・・・。」


まるで刑事のように執拗に佐伯は啓祐を追い詰めた。
それは数日前の取調室での自分の様子を再現でもしているかのように
やたらリアルな印象を啓祐に与え

彼は、疚しいところは別に何もないはずなのに
佐伯に対して、実に疚しいことをしているかのような気持ちになった。



「須藤。」
「ほんとに、なにもないよ。たいした手紙じゃなかったんだ。」




佐伯は訝しげな目を散々に啓祐に向けた後
「そっか」と小さく呟いた。

ポケットから煙草を取り出して火を点けた。

あの日の、高級そうなライターではなかった。



飲み終えたビール缶を灰皿代わりにして、灰を落としたあと
天井へと昇る煙にゆっくりと目をやる佐伯の姿を
啓祐は何処かで見たようなと思い、
それが美佳の煙草を吸う仕草にとてもよく似ていることに気づく。


喩えようのない苦い感情が啓祐の心を占めた。



突然掻きこむようにしてカレーを平らげる啓祐を
佐伯は唖然とした顔で見ている。

よっぽど腹が減っているとでも思ったのだろう。
スナック菓子をもう一袋あけると、啓祐の前に置いた。






「つきのうらがわ」 









佐伯が呟いた。





啓祐は忙しく口に運んでいたスプーンを持つ手を思わず止めてしまう。



佐伯はそんな啓祐の一瞬を見逃さず、笑っていった。

「おまえほど、分かりやすいヤツはいないよ。」





啓祐は顔を上げた。








「警察に呼ばれてた。」

佐伯は淡々と話し出した。

「殺された子と係わりのあったヤツには
全員声をかけているという説明だった。
でも、明らかに犯人扱いする取調官もいたからな。
疑われているんだってのは、バカでも分かる。」

「・・佐伯。」

「初めて訊いたって感じの顔じゃないぜ、おまえ。」

「・・。」

「誰に訊いた?小島美佳か?」

「・・違うよ。」

「ふん。アイツしか考えられないよ。」

「違うってば!小島さんじゃないよ。」

「アイツの親は刑事なんだよ。
 ま、親っていっても戸籍上は親じゃないけどさ。」

「・・え?」

「あ、その話は知らないのか。へぇ。」






初耳だった。
いや、その言葉は相応しくないかもしれない。

啓祐が知り得る美佳の情報なんて、
ほんのひとかけらに過ぎないものだろうと思ったからだ。

自分は“小島美佳”のことを、何も知らない。
ほんの少し時間を共に過ごしただけだ。
ほんの少しだけ、彼女の秘密めいた日常を覗き見ただけだ。

それも秘密であるのかどうかすらよく分からない。
自分だけが知らなかっただけで、それは周知の事実として
目の前で煙草を吸う佐伯は、とうに把握していることなのかもしれない。





「俺はオマエを何処まで信用していいんだ?」

佐伯は、啓祐の顔を真正面から見据え、そう訊いた。

「信用って・・」
「小島とはどのあたりまで関係が進んでんだって話。」
「かっ・・関係ってなんだよ!」
「・・・その様子じゃ、まるで何もないって感じだな。」

佐伯はバカバカしいと言った顔で立ち上がると
冷蔵庫から最後の缶ビールを持ってきた。


「飲む?・・って、まだ残ってるか。」
「・・・。」
「無理はすんなよ。うまくもないもん無理して飲むなら
 俺にくれよ。」

屈辱が啓祐の心で金切り声をあげていた。
それは四方の壁に跳ね返りわんわんと反響しただけで
いつか啓祐の心へと塊となって返るだけだ。


「俺の話が小島に筒抜けになると困るからな。
 でも肝心な部分だけはちゃんと言っておく。
 俺はあの子を殺したりしていない。殺すわけがない。」

佐伯は啓祐を睨みつけた。
その目が潤んでいることに気づいた啓祐は
慌てて目を逸らした。

佐伯は懸命に涙を堪えているのだ。



「死ぬほど好きだった子だ。殺すわけがないだろ・・」











「彼女が殺される数週間前から
俺の家にも、彼女の家にも、ひっきりなしに無言電話があった。
家の電話だけじゃない。携帯にもかかってきた。
無視しつづけていたら、そのうちおさまったけど
彼女が殺される一日前に・・」


佐伯はじっと啓祐の顔を見ている。



「・・一日前に・・?」



沈黙に耐え切れず啓祐が発した言葉を遮るように佐伯は言った。

「その前に、小島がおまえに渡した手紙を見せろ。」
「・・え?」
「もう捨てたのか?」
「・・なんで。」
「もう捨てたのかって訊いてるんだ。」
「・・どっちにしたって、見せる必要なんかないだろ。」
「ある」
「え?」
「おまえに渡した小島の手紙次第では・・
 いいから見せろって言ってんだ!」
「やだよ!」



バン・・!と大きな音が部屋中に響いた。

テーブルの上から飛び上がったビール缶が
コロコロと転がり落ち、床に零れだす。

佐伯が思いっきりテーブルを叩いたのだ。










「・・じゃあ、見せなくてもいい。」
「・・佐伯。どうしたんだよ。」

「・・血文字。」


啓祐はドキリとした。


佐伯は啓祐の顔をじっと見ている。

「やっぱりな・・」 と、彼は言った。

「つきのうらがわ 血文字 それで充分だ。」






部屋を出て行った佐伯を、啓祐は本能的に追った。

「佐伯!」


佐伯は立ち止まらずに玄関へと向かう。


「待てよ、佐伯・・!」

靴を履きドアを開けた佐伯を啓祐はもう一度呼び止めた。



振り返った佐伯の眼が啓祐の眼球を刺すように冷たく光る。

佐伯は泣いていた。


「・・俺は殺していない。殺してなんかいない。」
「おまえが殺したなんて、思ってないよ。」
「じゃ、なんで手紙を見せないんだ。」
「手紙とそれとなんの関係があるんだよ。」
「見せたら教えてやる。」
「・・・。」

沈黙する啓祐の様子に、佐伯はため息をつき背を向けた。


「どうせ小島と約束でもしたんだろ?指きりでもして。」



その言葉に、啓祐の頬がカッと熱くなる。


衝動が、理性を超えた。


「見せてやるよ、手紙ぐらい。」








薄く開いた玄関ドアの隙間から
消防車のサイレンの音が覗き込むように飛び込んできた。

一瞬それが、美佳の悲鳴であるように啓祐には聴こえたが
佐伯がパタリとドアを閉める音でそれは途絶えた。


啓祐と佐伯は黙ってリビングへと戻った。



啓祐は、鞄の中からところどころ破れた封筒を取り出すと
佐伯に手渡した。


何を恐れているのだろう、と ふと思った。
自分の指が、小刻みに震えていたからだ。































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16:11:01 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 6
2006 / 08 / 10 ( Thu )
茜雲が空一面を覆い尽くしていた。
啓祐は駅のホームに立ち、それを見ていた。

影響を受けるかと思われた台風は、
拍子抜けするぐらいに何事も無く啓祐の住む町を逸れていったが、
この奇妙な空は、やはり台風の影響だろうかと
啓祐はぼんやり思った。

それは宗教画に描かれているような黄金色の雲と
燃え立つような紅色が重なり合って渦巻いていて
まるで地震でも起こりそうな、不安げな気持ちにさせる空で

駅にいる人々の中にも、同じように空を見上げている者が数人いて
啓祐は何処かで美佳も、この空を見ているだろうかとふと考えた。

STYLE=

あれ以来、美佳には会っていない。
美佳はあれきり学校には来ず、そのまま夏休みに入った。

佐伯もぷつりと学校に顔を出さなくなった。


美佳の言う通り、佐伯が警察で事情聴取を受けたのだとしても
それにしては、やけに長すぎる不在だった。
啓祐は思い立ち、何度か彼の携帯に電話をかけてみたが
電源を切っているのか、それはまるで繋がらず
自宅の電話のほうはどうかとこれも数回鳴らしてみたが、
一度だけ佐伯の母親が出て、彼が留守であることを告げた後は
一切誰も出ず 留守電にもなっていなかった。


佐伯に現在付き合っている女がいたというのは
啓祐にとり、初耳であった。

クラスメイトの誰も、おそらくは知らないことなのではないかと思った。

もし知っているのだとすれば、
情報通のクラスメイトの加治が黙っているはずはなかったし
佐伯自身が皆に秘密にしているというのも、
なんとなく腑に落ちないものがあった。


なによりも、それを“小島美佳”が知っているということが
啓祐の心の中にドサリとひとつぶんの場所を陣取り、
奇妙な不快感を絶えず齎すのだった。





ホームへと電車が入る。





啓祐は夏休みの間、従兄弟の勉強を見てやることになっており
アルバイト代として普通に稼ぐよりも割高な収入が入ることから
自宅から電車で3駅先の従兄弟宅まで、週に2度通っていた。


更に1駅先へと進めば、蓮見駅がある。
時々、家庭教師の帰り道、反対側のホームへと立ってみたことがあった。

しかし必ず電車を見送り、ため息と共に駅の階段を下り、
自宅方向へ走る電車へと乗り込んだ。


蓮見駅に行けば、美佳がいると決まったわけではない。
あのアパートまでの道程はしっかりと頭に叩き込まれてはいたが。

けれど、あの場所が果たして美佳の家なのかと問われれば
そうだとは答えられなかった。

名簿上の美佳の住所は蓮見駅を最寄り駅としてはいなかったのだ。
事実、美佳は、啓祐たちよりも先に、通学時の電車の車両内に居た。

家は、啓祐の住む町よりも更に一駅奥の駅だと、名簿は記していた。


あの家は誰の家で、あの男は一体誰なのか。

崩れ落ちそうな看板、寂びた手すり、剥がれた壁、シミだらけの天井。
饐えた臭い、男の大声、美佳の悲鳴、腹に走った激痛。


全てがリアルに起こったことなのに、過ぎてしまえば
悪い夢でも見ていたかのように、頼りなく、朧げな記憶と化していく。








つ きの うら こ こ からだ し




啓祐は、例の広告を鞄から取り出した。

陳腐な自分の想像を、あれからも啓祐は何度か考えてみた。



月の裏 此処から 出して




そう考えるのが、一番自然であるような気がした。

けれど、“月の裏”というのが果たして何を指すのか、
“此処から出して”と訴えているのは、一体誰なのか、

それを考えれば考えるだけ、三流推理小説の世界が広がり
啓祐はいつも苦笑して途中で考えるのをやめてしまった。


自分は推理作家にはどう足掻いてもなれそうにない  
啓祐はそう思った。





ふいに着信音が鳴り響いた。啓祐の携帯だ。
啓祐の隣に座っていた会社帰りらしい男が
眠りを妨げられたために、実に不愉快そうな表情で啓祐を睨みつけた。

滅多と誰かから電話がかかるわけではない啓祐は
マナーモード設定というものを使ったことがなかった。

夕暮れ時の静かな車内に、電子音が激しく鳴り響く。


慌てて電話に出る。







電話は、母親からで
急な通夜が入ったらしく、啓祐に
何か買ってくるか、外で食事をしてくるようにと早口で告げると
よほど急いでいたのか、こちらが答えるより先に電話を切ってしまった。


(外で食事と言われても・・な)


美佳と一緒に入った喫茶店のカレーが、ふと頭をよぎった。
もう少し電話が早ければ、
思い切って蓮見駅行きの電車に乗れたものを、と
啓祐はがっかりして思った。

カレーが食べたかったわけではない。蓮見駅に行く口実が欲しかったのだ。


それでもカレーのことが頭に浮かぶと、
なんだかカレーが無性に食べたくなり
駅前のコンビニに入ると、レトルトのカレーをひとつ買った。
飯くらいは家にあるかな、と思ったが、念のためレトルトの米も買っておいた。


店の奥で、緑茶を物色していると、
ガラス越しに自分を見ている人影を感じた。

振り返り、「あ」と、思わず声を上げる。



其処には、佐伯が立っていた。





























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00:11:34 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 5
2006 / 08 / 06 ( Sun )
まだらな褐色のシミが
徐々にひとつに重なり合っていく。

それが壁の
剥がれ落ち剥きだしになった部分なのだと気がついたのと同時に
気忙しい蝉の声が、啓祐の耳へと一気に飛び込んできた。


美佳の心配そうな顔が、自分を覗き込んでいる。




「え・・と」

何故自分が廊下に仰向けに寝ていて、美佳の顔を見上げているのかを
啓祐は暫くの間 ぼんやりと考えていた。

朧な記憶がひとつひとつ、見えない糸で次第にしっかりと結ばれていく。


そうだ。
突然、男が部屋に入ってきたんだ。
そしていきなり美佳の頬を打った。
彼女の髪を掴み、廊下へと引きずり出すのを見て
それを止めようと男の腕を掴んだ瞬間、啓祐の腹に激痛が走った。

その後の記憶はない。
ただ、美佳が必死で自分の名を呼んでいたような気がする。



(気絶なんて、16年間生きてきて初めての体験だな・・。)
啓祐は苦笑しつつ、身体をゆっくりと起こした。

「・・大丈夫なの?」
美佳が啓祐の身体を労わるように支えながら声をかける。

彼女の細い指が、啓祐の背に触れた瞬間 啓祐の胸はまた奇妙な音を立てた。
しかし次には汗ばんだ自分のシャツが気になり、
反射的に彼女の指を避けるようにして、背を凛とさせた。

腹に鈍い痛みが、僅かに走る。




「・・あの男の人は?」


廊下の奥、突き当たりの部屋のドアは開け放たれていて
其処に人がいる気配は、もうしなかった。


「出て行ったわ。・・煙草とお酒を買いに行ったんだと思う。」
「そうなんだ・・。」

「ごめんね・・。お腹、痛い?」


そう心配そうに呟く美佳の頬は、赤く腫れていて
少し乱れた髪と制服のブラウスの胸元が、
さっきのシーンを生々しく思い起こさせた。




「ね・・啓祐、歩ける?
もし良ければ、ちょっと場所を移動したいんだけれど・・。」
「あ・・うん。」


美佳がいつのまにか自分を「啓祐」と
親しげに呼び捨てていることに気づいた啓祐は、
恐らく紅くなっているだろう自分の顔を
彼女に見られまいと、俯き加減に返事をした。

気を失う前の、自分の名を懸命に呼ぶ美佳の
あの朧ろな記憶が確かなものであったことが
啓祐の顔をいっそうに紅潮させた。



美佳は、小さなポーチと携帯を持つと、足早に部屋から出てきた。


靴を履く前に、壁にかけられた小さな鏡で
彼女が一瞬前髪を直した仕草に、
啓祐はドキリとしてしまう。
そして胸の奥では、また奇妙にツクンと音が鳴った。

啓祐はその音を掻き消すように、
わざと乱暴にドアを開けると表へと出た。


風がさわりと啓祐の頬を撫で、通り過ぎる。

アパートの中よりも、
外に出たほうが本当に涼しいことに啓祐は苦笑した。
美佳もそう思ったらしく、
「ほんとあの部屋、サウナ効果だよね。
ダイエットには最適の空間よ。」と笑った。

此処に来た時と同じように、リズムよく手すりを叩きながら
勢いよく階段を、今度は駆け下りて行く彼女の背中を見ながら
啓祐も密かにトントン・・と真似をしてみたが、
そんな自分が急に恥ずかしくなり、
手すりに置いた手を無造作に滑らせると 美佳の後を追った。



啓祐の背を、蝉時雨が矢のように追いかける。




アスファルトから立ち昇る熱気に、二人は同時に声をあげた。

「うわぁ・・強烈。」


何処かの県で、今日は記録的な暑さを更新したと
おそらく夕方のニュースが伝えるだろうと、啓祐は思った。

聳え立つ入道雲が、夕立のひとつでも齎してくれれば
少しはこの尋常でない暑さもマシになるかもしれない、とも考える。

けれど、そうだ。傘がなかった。俄雨は困る。





「駅前に喫茶店があるんだ。そこならクーラーも利いてて涼しいから。」

美佳が啓祐を振り返りながら、そう言った。


「喫茶店・・って、俺たち制服だよ?・・それに今はほんとなら・・」

“授業中だし”と言いかけて、啓祐は言葉を呑みこんだ。
煙草の煙に噎せた自分を美佳が笑ったことを、思い出したからだ。


佐伯もよく、学校帰りに何処かでお茶でもしていこうと啓祐に声をかけた。
啓祐が悉く断るのを、心底呆れたような顔をして苦笑しつつ見ていた。




「・・いいよ。分かった、その店で話そう。」

啓祐は、できるだけ平静を装って、そう答えたが
内心は誰かに見られるんじゃないかと、ドキドキしていた。

そしてそんな自分を情けなくも思った。

それは啓祐にとり、初めての感情であり、
彼はそれを とても面白くない感情だと思った。






駅前の喫茶店は、
うっかりすると見過ごしてしまうのではないかと思うほどに
こじんまりとした小さな店で
表から見ると、
営業しているのかしていないのか判別がつかぬほどの薄暗い店内には
真夏の昼下がりに聴くにはなんだか不似合いなJAZZが流れていた。

気だるい空気がまったりと店を包み込んでいたが
それは客が出入りするたびに、
ガラガラと激しい音を立てるドアによって一瞬でかき消される。

啓祐は店のドアが開くたびに、いちいちドキリとさせられた。


美佳は店の奥のソファ席へと腰を下ろし
注文を取りに来たウェイトレスに
慣れた様子で「いつもの」と言ってみせた。

ウェイトレスは一瞬躊躇う素振りを見せたが、
カウンターからマスターの「了解」という声が届くと
チラリと美佳に目を遣り、テーブルを後にした。

美佳はどうやら、この店の常連客らしかった。


こんな時間に、
高校生が喫茶店に入って涼を取っているというのに
店員も客も誰一人、それを気に留める者はなく
それぞれがそれぞれの時間を思い思いに過ごしている。


啓祐一人が、落ち着き無く店の彼方此方に視線を這わせては、
注文したアイスコーヒーが来るのをひたすらに俟っていた。




「お腹、大丈夫・・?」 ふいに美佳が声をかける。

「あ、う、うん。大丈夫だよ。」
啓祐は、不安な自分の心情を悟られまいと虚勢を張るのに必死だった。

美佳はそんな啓祐に、
「平気よ。此処に知り合いがくることはまずないわ。先生もね。」
と、笑って言った。

なにもかも見透かしているような、 美佳の言葉に
啓祐は複雑な心境になる。

美佳の前では、全てが空回るようだった。うまくいかない。




アイスコーヒーが啓祐の前に置かれ、
続けて美佳の前には、
色とりどりのフルーツが乗ったタルトケーキの皿と紅茶が運ばれてきた。


「お腹空いてない?なにか注文すればいいのに。」

美佳にそういわれ、啓祐は急に空腹を感じた。

「と言っても、サンドウィッチとカレーぐらいしかないけどね、この店。」

「あ、カレーあるんだ。」

「あるけど・・。この暑いのにカレー食べるの?」

「カレーは暑い日に食べるのが、美味いんだよ。」


啓祐のその言葉に美佳はクスクスと楽しそうに笑うと

「マスター。カレーちょうだい。」と、よく通る声で注文した。







特急が通過するのに下りた遮断機の音が、微かに店内に届いた気がした。





「さっきの話、憶えてる?」


美佳はタルトの上の苺をつまみあげると
くるりと一度回したあと、舌先を絡めるようにして苺に触れた。

その官能的な仕草に、啓祐は慌てて視線を外す。




「佐伯が警察にいるって話。」 




客が一人清算を済ませ、店を出て行った。
ドアがガランゴロンと、一瞬けたたましい音を鳴らしたあと
再び店内に、静かにJAZZが流れ始める。






「警察って、ほんとに!?」
「シッ・・もう少し小さな声で話して。
マスコミが何処で聴いているか分からないのよ。」
「マスコミって・・。」
「これはまだ、マスコミも知らないことなの。」
「・・それをなんで・・小島――・・さんが知ってるんだよ。」


“美佳が”と一瞬言いかけてやめた自分に、啓祐は苦笑した。

友人がもしかして、警察にいるかもしれないという事実よりも、
今、自分の心を占めているものを知り苦笑したのだ。


啓祐にとり、“佐伯が警察にいる”という言葉は
あまりに現実からかけ離れているものであり、なんだかピンとこなかった。

ピンとこないと言えば、殺人事件が起きたことも
自分が今、その町にいることも、
もはや啓祐にはどうでもいいことに思えた。

そんなことよりも、さっき目の前で繰り広げられた
衝撃的な暴力シーンと美佳の悲鳴と
自分の腹に残った鈍痛のほうが、彼には確かな現実だったのだ。





「佐伯・・なんだか疑われているみたい。」




美佳は包み込むようにカップを持つと、紅茶を一口啜り
まだ熱かったのか、微かに顔を顰めると
テーブルにそっとカップを置いた。






「・・どういう意味?」
「そういう意味よ。」
「そういう意味って・・」
「そういうこと。」
「そういうこと・・って、なんだよ。」



「佐伯が、内山彩音を殺したんじゃないかって
警察が疑っているっていう意味よ。」






その言葉に、ようやく事態を呑みこんだ啓祐は
「はぁ!?」と素っ頓狂な声を出した。

その声は昼下がりの静かな店内に響き渡った。
数名の客が啓祐と美佳の座る席へ、迷惑そうに視線を投げた。


「あ・・!」 啓祐は思わず首を竦める。

美佳は人差し指を唇にあて、激しく啓祐を睨みつけた。

「・・ごめん。」 啓祐は小さく呟いた。




ウェイトレスがカレーを運んで来て、啓祐の前に置いた。


「食べれば?」

美佳はそう呟くと、ポーチから煙草を取り出して火を点けかけたが
さすがにこの時間この場所で、制服姿での喫煙はマズイと思ったのか
口に銜えた煙草を外すと、またポーチへと仕舞い込んだ。


慣れた手つきだった。
日常的に喫煙しているのだろうと思わせる仕草だった。

あの日の佐伯もそうだった。


カレーはレトルトをレンジで温めただけのようなものだったが、
突然襲ってきた空腹感に、啓祐はあっというまにそれを平らげた。


美佳はそんな啓祐をぼんやりと眺めていたが、
いつか視線を窓の外に移すと、すっかりと黙り込んでしまった。



長い長い沈黙だった。



小さな蓮見駅は、駅前だというのに人や車の往来も疎らで
窓の外に流れる風景を見つけ出すこともできない啓祐は
所在無げに、店の看板に書かれた文字を何度も繰り返し眺めては
時折美佳の横顔を盗み見るようにして時間を潰した。



“佐伯に殺人容疑がかかっている”という
ショッキングな美佳の言葉は、
それでもまだ啓祐にはどこか絵空事の世界で、

明日になれば、今までとなんら変わらない顔をして
「おはよう」と笑う佐伯を見られるだろうと考えるほうが
よっぽどしっくりとくるような気がしていた。



しかし、そう思った瞬間に、
啓祐の脳裏に殺害現場までのルートが
突然鮮明に浮かび上がったのだ。

コンクリート塀脇の有刺鉄線。
草の蔓延る荒れ果てた空き地。その先の澱んだ沼のような池。

張り巡らされた有刺鉄線に、抜け穴のようにぽかりとある
人ひとり分が通れるだけの 空間。


それは全て佐伯が教えてくれた。

沼の先は行き止まりだと、確か彼は言った。

コンクリート塀にでもなっているのかと啓祐は問うた。

佐伯は啓祐の質問に、
やたらニヤニヤとした顔で「極楽浄土だよ。」と答えた。
















美佳が窓の外を見つめながら、呟くように言った。

「・・佐伯は、内山彩音とつきあっていたのよ。」
















アイスコーヒーの氷が動き、カラリと響く音の
そのあまりの弱々しさと、美佳の消え入りそうな声が、

アスファルトを立ち昇る陽炎のように、
ゆらゆらと不安定なバランスを、啓祐の心へと運んできて


ふいになにもかもが、真昼の夢のように思え
啓祐は膝に置いた掌を 小さく抓って “今”を確かめた。




夢じゃない。

































 



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21:36:48 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 4
2006 / 07 / 30 ( Sun )
 
陽炎がゆらゆらと立ち昇る道を、
啓祐は美佳に少し遅れて歩いていた。

狂ったように啼く蝉の声が、
ふいに鳴り響く救急車のサイレンを前に、しんと静まり返る。

救急車が去ったあとの突然の静寂は、
まるで小さな町の全ての時間を
止めてしまったかのような錯覚を 啓祐へと齎した。


誰かが庭の植木に水を遣っていて、
時折柵を越え、ホースの水が勢いよくアスファルトに飛び散る。

しかしそれは落ちた瞬間に、音もなく色濃いシミとなり
紺藍の路面へと吸い込まれるように、ただ消えていくだけだ。



再びに、驟雨のように 蝉の声が降り注ぐ。





啓祐は、美佳が例の殺人事件があった場所へと
自分を連れて行くものだとばかり思っていたので
目的地とは違う道へと折れた美佳を見て
一瞬、歩幅を緩めた。

啓祐のそんな一瞬を彼女は見逃さなかったようで
立ち止まると、啓祐を振り返った。


「今は、ダメ。マスコミがウロウロしているわ。」


うろたえる啓祐が言い訳をしようと口を開く間もなく
彼女はそれだけを早口で告げると、くるりと背を向けて
また黙々と歩き出した。


小さな 細い肩だった。




「此処よ。上がって。」



美佳が啓祐を促した場所は、今にも崩れ落ちそうな古い賃貸アパートで
屋根からずり落ちそうに傾いている看板が、
どうにか「蓮見荘」という文字を啓祐に判別させた。


饐えたようなニオイが鼻につき、思わず顔を顰めた啓祐を
美佳は横目でチラリと見ただけで
トントン・・と錆びた手摺をリズムよく叩きながら
勢いよく階段を駆け上がっていく。


啓祐も慌てて美佳を追いかけた。





「・・いる?」

ドアを開けると同時に、美佳は小さく呟いた。

返事はない。
代わりに、熊の唸り声のような音が啓祐の耳に届いた。


その音を耳にした途端、美佳が表情を曇らせたのを啓祐は見た。


「上がって。煩いのが一人、寝てるけど。気にしないで。」


美佳はそう言うと、スリッパを啓祐の前にすっと並べ
自分は靴下を大儀そうに脱ぐと、部屋の奥へと走っていった。

薄暗く狭い廊下が、ミシミシと音を立てる。
天上にはカビのような黒いシミが幾つもできていて、
壁はところどころボロボロと剥がれ落ちていた。

異臭がする。


熊のような唸り声は廊下の突き当たりの部屋から聴こえてくるようだった。
それが人のイビキであることに、じきに啓祐は気づいた。

この家には、他に誰かがいるのだ。





美佳が盆に麦茶と菓子を乗せて、歩いてきた。

ぼんやり突っ立っている啓祐の脇をすり抜け、足で器用に襖を開け
部屋の隅に置かれた小さな卓袱台に盆を置くと、
彼女は啓祐を振り返り、呆れたように声をかけた。


「なにしてんの?さっさと入りなよ。」



扇風機のスイッチもまた、足で入れた美佳は
麦茶の入ったグラスを頬に当て、暫しその涼を感じたあと
ゴクリとひとくちそれを飲んだ。

「わらびもちでもあれば 良かったんだけど。」

スナック菓子の封を切り、美佳は口に銜えた煙草に火をつけた。

ふ~・・・っと深く吸い込んだあと、ゆっくりと煙を吐き出す。

扇風機の羽がその煙を捉え、啓祐の鼻先へと運んだ。


「コホッ・・・!」

思わず咳き込んだ啓祐を、美佳は唖然とした顔で見ていたが
次の瞬間、クスクスと実に愉快そうに笑い出した。




「須藤くんって、ほんと、佐伯くんの言ってた通りの人ね。」




たかが煙草の煙が風に乗り流れてきたぐらいで咳き込んでしまった自分を、
啓祐が猛烈に恥ずかしく思ったのは、
おそらく美佳が唐突に、佐伯の名前を出したからだろう。

あの日、佐伯は啓祐の目の前で、とても旨そうに煙草を吸ってみせた。
一度もむせることもなく。

美佳はそんな佐伯の姿を知っているのではないか、と
何故か啓祐は思った。
そしてそれは同時に、自分が佐伯より
男として劣っているかのような気持ちを、啓祐に齎した。

(美佳は、自分をバカにしているのではないか。)
そんな卑屈な想いが、啓祐に激しい劣等感を抱かせたのだ。


啓祐がいつまでも押し黙ったままでいるので、美佳は悪いと思ったのか
まだ長い煙草の火を灰皿にこすりつけ急いで消すと
「ごめんね。煙かったよね。」と、急にしおらしく呟いた。



窓に吊るされた風鈴を、時折風がチリリと鳴らしていく。





「暑いでしょ? 悪いけどここ、クーラーないんだ。」

美佳は、啓祐の顔を覗きこむようにして 扇風機の設定を「強」へと変えた。




「ここは・・小島さんの・・」

家なのか?と、啓祐は言いかけて、ふと口を噤んだ。

美佳の横顔が、それ以上の質問を許さないといったふうに、キリリとしたのを見たからだ。



「マスコミは、2、3日もすれば此処を離れると思うわ。」

美佳は啓祐の声を無視して、話し出した。


「殺人事件とはいっても、小さな町の小さな事件だし。
女子高生が一人、暴行されて殺されたって以外は
特になんの面白みもないニュースなんだろうし。

 それでもね、大きな事件がなにもなければ
いつまでもしつこく騒ぎ立てるんだろうけれど、
今日、例の婚約発表があったじゃない?
あれで一気にワイドショーはそれ一色よ。」


「そうなんだ。」


「・・呆れた!知らないの!?朝からずっとそればっかりやってるじゃん!」



美佳は心底驚いたといった顔で、啓祐を見つめた。

「ほんとうに、須藤くんって・・」
「悪かったな」
「別に、悪くはないけど。ただ・・」
「佐伯の言うとおりだって、言いたいんだろ。」
「・・どうしたの?」


自分でも意外な感情だと啓祐は思った。
頬のあたりが、
カッと熱をもっているのが分かったからだ。

これは怒りなのか、それとも恥ずかしさなのか。
奇妙な想いに、啓祐は自分でも戸惑っていた。

それは表情となって、啓祐の顔に如実にあわられていたようで
美佳が自分の顔を食い入るようにじっと見つめているのが分かるのだが、
啓祐は感情をうまく遣り繰りすることができず、
じっと無言で下を向いていた。



「佐伯・・一史」

ふいに美佳が呟いた。


顔を上げた啓祐に、驚くほど冷たい美佳の眸が、突き刺さる。



「あんなヤツ。くんづけで呼ぶ価値もない。」

美佳は、吐き捨てるようにそう言った。



「・・どうして?」





美佳はその質問には答えずに、呟いた。


つ きの うら こ こ からだ し ・・」




「ねぇ・・須藤くん。」



微かに、12時を告げる工場のサイレンの音が聴こえたような気がした。






「・・この紙飛行機は、誰が折ったと思う?」


美佳の黒い大きな眸が、僅かに震えた。


「誰か・・・って。閉じ込められている人なんじゃないの・・?」

啓祐はずっと考えていたことを、口に出した。


つ きの うら こ こ からだ し 

「月の裏ってのが、なんのことかは、俺には分からないけどさ。
ここからだし っていうのは、“ここから出して”って
ほんとは、そう書きたかったんじゃないの・・?」

「何処かに・・誰かが、例えば閉じ込められてるとか・・さ。」


美佳はじっと黙ったまま、啓祐を見つめている。


壁のデジタル時計が、工場のサイレンに少し遅れて、今 12時を告げた。




「まぁ・・俺の単なる想像でしかないけど。」


啓祐は急に自分の陳腐な推理が恥ずかしくなり、
ふたつ、みっつ、スナック菓子を口へと放り込むと
麦茶で一気に流し込んだ。



汗が滝のように滴り落ちる。
外にいるほうがマシなのではと思われるほど
“蓮見荘”の二階、ぼろアパートの一室は、異様な暑さだった。





「・・ま・・・・やね。」


美佳の小さく呟く声を、クマゼミの輪唱がかき消してゆく。


「え?なんか言った?」


啓祐は慌てて聞き返した。



「・・内山彩音」

「うちやま あやね?」

「そう。内山彩音。」

「・・それが閉じ込められている人?」

「なに言ってるの? ・・殺された子よ。」

「あ、そうなんだ。」

「うん」

「ふぅん・・。」





聴いたことのない名前だった。

自分のクラスの女子のフルネームすら怪しい啓祐にとって
隣町の女子高に通う生徒の名前など、
いくら事件に巻き込まれ死んだからと言っても
いちいち憶えていられるものではなかったのだ。



美佳は再び煙草に手を伸ばすと、
何処かの店の名前が刻まれたライターで火をつけた。


啓祐はふと、あの日佐伯が火をつけた
高級そうなライターのことを思い出した。

父親のライターだと笑って答えた佐伯の顔も。



「佐伯 今日、学校 休んでたな。」


扇風機が首を大きく振る度に、また啓祐の鼻先に、煙草の煙が運ばれてきた。
今度はうっかり深く吸い込まないように、
彼は心なしか息を止め、どうにか煙をやり過ごした。


美佳はゆっくりと煙を天上に向かい吐き出すと、

「理由、知ってる?」 と、啓祐に問うた。



「風邪だよ。先生がそう言ってたよ。」


「風邪じゃないわ。」

「え?」

「風邪じゃない。」

「・・どういう事?」




美佳は自分の吐き出した煙の行く先を確かめるように目で追ったあと、
灰皿に煙草を置いて、啓祐の前ににじり寄った。



「・・誰にも言わない?」

「・・え?」


美佳は、小指を出した。

その細い小指を見た瞬間、
さっき、蓮見駅のホームで彼女が
缶コーラのプルトップを引き抜いたあと、すっと小指へとはめた
あの流れるような仕草を、啓祐は思いだした。

啓祐の胸のあたりで、ツクンと奇妙な音がした。




「須藤くんは、誰にも言わないよね?」

頷くよりも先に、美佳は強引に啓祐の小指に
自分の小指を絡めてきた。

啓祐の体内で、一気に血液が逆流を始めた。

ドクドクと血管を遡る赤い川。
啓祐は何度もそれを堰き止めようと
川の真ん中に大きな岩を置くことを試みた。

しかし大河となったそれは、もはや
なにもかもを砕く勢いで激しく流れ、

どんなに大きな岩を置いても、それは全て粉々の礫になって、
散り散りに赤褐色の濁流へと呑み込まれていった。










「佐伯は、今、警察にいるのよ。」









その時突然、襖がガラリと開き、
背の高い痩せた男が、部屋へと踏み込んできた。


美佳が慌てて煙草の火をもみ消すのとほぼ同時に
男の平手が美佳の頬を打った。


「てめ・・!オレ・・煙草吸っ・・んじゃねー・・!」



呂律の回らない舌で、男はワーワーと大声で喚きながら
美佳の髪を掴み、廊下へと引きずり出した。


突然のことに、啓祐は硬直したままだ。


「やめて・・!友達が来てるのよ!!
 煙草は謝るから・・!あとでちゃんと買ってくるから・・・!」


事の異常に気がついた啓祐が、とにかく美佳を助けようと
振り上げた男の拳を掴んだ瞬間、彼の腹部に激痛が走った。

男が思いっきり、啓祐の腹を蹴り上げたのだ。




床に崩れ落ちる啓祐の耳に届いた美佳の悲鳴を、
やはり蝉時雨がかき消して、
それは いつかの光景を、啓祐に思い起こさせた。



絵画室の片隅のイーゼル。
立てかけられたカンバス。

真っ青に描かれた空を、誰かの持つ筆先が
ただただ黒く塗りつぶしていく。

叩きつけるように、投げつけるように
パレットに捻り出された漆黒の絵の具が
まるで女の黒髪のようにカンバスの中で踊りだす。


ほんの僅か小さな青空を残したカンバスを前に
降り出した突然の激しい雨をかき消したのも、確かに蝉時雨だった。







「・・啓祐!・・啓祐・・!」





小さな雨粒が ぽつりとひとつ 右頬に落ちたようなそんな気がして
啓祐は、俄雨ならいいのにと、ぼんやり考えていた。



―― 傘がない。

















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22:08:02 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 3
2006 / 07 / 23 ( Sun )
缶飲料のガチャリという音が
静寂を打ち破った。

蓮の季節を過ぎれば、訪れる人も疎らな
この小さな蓮見駅のホームにいるのは
今、啓祐と美佳だけだった。

枕木をジリジリと焦がすような強烈な日差し。
汗がじんわりと背中を伝い落ち
制服のシャツがじっとりと背を撫でる。

美香の細い背も少し汗ばんでいて
白いブラウスに
淡い水色の線が時折映し出されている。

啓祐の鼓動が波打った。




「はい。」


美佳が差し出したのは、緑茶の缶だった。

「コーラって、須藤くんのイメージじゃないから。」

美佳はほんの少し微笑んでそう言うと
勢いよくプルトップを引き抜いて、
それを左手の小指へとすっとはめ、
ゴクゴクと一気にコーラを飲み干した。


「あ・・お金払うよ。」
「いいわよ、そんなの。それより・・」


美佳は、啓祐の隣へと腰を下ろした。



「手紙、まだ持っていたのね。」


啓祐の目の前で、紙飛行機をヒラヒラとさせながら
美佳は少し驚いているといったふうだった。

もう捨ててしまったとでも思っていたのだろう。


「ごめん・・あれからずっと読むの忘れていて・・」

しどろもどろに啓祐が答えるのを
美佳はじっと見ていたが、「そう」と言ったきり口をつぐんだ。



長い長い沈黙が、再び2人の間を包み込む。

狂ったように啼くクマゼミの声と
時折上空をプロペラ機の旋回する音がパラパラと響いた。


「あの・・」 啓祐が口を開いた。

「その手紙だけど・・」



美佳は黙って線路を見ている。
汗が美香の透ける様な金色の髪を、頬に貼り付かせていて
そのせいで、いつもよりも美佳の髪は黄金色に見えた。


「その手紙の文字さ・・」




啓祐はその先を言い澱んだ。

全くバカな想像をしているように、ふいに思えたからだ。

目の前で見事に紙飛行機の完成形を作り出した広告。
その裏に書かれた かすれた文字。


つ きの うら こ こ からだ し



それは、鉄板が赤錆びた時のような色をしていて
この色を啓祐は嘗て何処かで目にしたことがある。

そしてその記憶に今を当て嵌めれば、おそらく・・



「それ、血文字じゃないのか・・」




独り言のように、啓祐の唇から言葉が漏れた。






美佳は微動だにせず、前を向いたままだ。







ホームへと電車が入るのを、アナウンスの無機質な声が告げる。
ほどなくゆったりと鉄の塊が滑り込んできた。

数名の乗客が、車内の快適さに後ろ髪をひかれるようにして
大儀そうに電車を降りた。


目の前を通り過ぎていく人々を、美佳は虚ろな目で見つめている。





「だから・・」と、美佳の唇が微かに動いた。




「だから、私を・・追いかけてきたんでしょ?」









それは図星だった。

あの時、教室で広告の紙を裏返し
そこに赤錆色の11文字を見た瞬間、啓祐の全身を貫いた衝撃は
理屈ではなかったのだ。


血文字は、中学3年生の頃
ちょっとしたブームになったことがあった。
好きな人に想いを伝えるのに、
自分の指先にカッターで少しだけ傷をつけ
滴り落ちる鮮血で手紙を書く。

誰がやり始めたのか定かではない、この性質の悪いラブレターを
佐伯が一度、公開的にクラスメイトの前で披露したことがあるのを
啓祐は憶えていた。


それは、他校の女子生徒から
学校の帰りに手渡されたものだと、佐伯は自慢げに話していた。


ほどなくその子とつきあうようになった彼は
他の手紙は捨ててもその手紙だけは持っていたようで

やがて2ヶ月ほどが過ぎた頃、啓祐は再びそのラブレターを
唐突に佐伯から見せられたのだ。



「用済み」 


佐伯はその時、そう言った。
女と別れた時に、佐伯がよく口にする表現だった。



クラスメイトに公開した時には、
まだ幾分鮮やかな紅色をしていた文字は
もうところどころ判別不可能なほど、薄くなっていて
既に紅色というよりは、茶褐色に近い色をしており

それは何故だか、よりいっそうに人の血液を連想させ
啓祐の心に不快な感情を運んだ。


「なんか、しつこくてさ。その女。
 メールくれだの。もっと会いたいだの。
 キスしてだの、抱いてだの。」



佐伯の台詞もまた、その時の啓祐にとって不快に思えたのは
佐伯がニヤニヤと笑いながらその台詞を吐いていたからだった。


おそらく、いつもの悪い癖だろうと啓祐は思った。


佐伯は一度、女と関係を持ってしまうと
その後すぐに飽きてしまい、
別れられるようにあらゆる手段を用いては
女を簡単に捨ててしまうらしいという
一部クラスメイトの間で流れているよくない噂を
啓祐もまた、耳にしたことがあったのだ。







気がつけば、美佳が自分の顔をじっと見つめていた。

啓祐はハッとして、「ごめん」と呟く。
そして、続けて「そうだね」と付け加えた。


血文字だと思ったから、自分は美佳を追いかけたのだと思った。


血文字のラブレターと 紙飛行機と  殺人事件と。


遠く隔たりがあるように見えて、
それらは奇妙に一本の線で繋がるような、そんな根拠のない予感を
啓祐は抱いていた。

推理小説が好きで読み漁っていた啓祐だからこその
好奇心もあったのだろう。

それと同時に、この不可思議な広告の手紙を
“小島美佳”という女が
自分に手渡してきたということも、
啓祐の好奇心を大いに刺激した。



思っていたよりも退屈な高校生活。
平凡に繰り返される日常。
眠って、起きて、食べて、勉強して、食べて、そしてまた眠って。


恋も知らない。ましてや女など、まったく未知の世界で。
まともに話したこともこれまでになくて。


学校と家をひたすらに電車に乗って往復するだけの日々に
啓祐は自分で思っている以上に、飽き飽きとしていたのかもしれない。








「・・月の裏側を、見る勇気がある?」









消え入りそうな美佳の声が、目の前を過ぎる蜻蛉の
銀白の翅に吸い込まれ、夏空への青へと高く高く、運ばれていった。












 
 
 
 
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18:24:07 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 2
2006 / 07 / 18 ( Tue )
月の裏側 2


啓祐はそのまま駅の方角へと向かい、ひた走ったが
美佳の姿を何処にも捉えることはできなかった。

怖いほど聳え立った入道雲が
蝉時雨をも圧倒する勢いで君臨している夏の空。

眩暈がしそうな暑さだった。

たまらず駅前のコンビニへ逃げ込もうかと思ったが
ふと、自分が学校を飛び出してきたのだということに気がついた啓祐は
急に、自分の姿を誰かに見られてはまずいという気持ちになる。

この生真面目すぎる性格を、佐伯が時々窘めることがあった。

学校帰りの喫茶店や繁華街などへの寄り道すら
啓祐が断るからだ。

「鉄壁の守りだな」 

断るたびに佐伯は呆れたようにそう呟いた。



ふいに、啓祐はあの場所のことが頭に浮かんだ。
殺人事件があったという、池のあるあの場所。

此処から電車で二駅・・と考えて、啓祐はその駅が
嘗て美佳が自分に手紙を手渡したあとで降りた駅であることを思い出した。


啓祐の心の中で奇妙な好奇心が疼き始める。
それは同時に小さな恐怖に似た感情も運んできたが
誘惑がそれを跳ね付けて、好奇心がむくむくと
さっき見上げた入道雲のように大きくなり始めた。



啓祐は改札を抜けた。












蓮見駅という名のその駅は
蓮の頃には見事なほどに一面に浄土の花が美しく咲き乱れる寺がある。

祖母が毎年、蓮の開花を楽しみにしている寺は此処にあったのかと、
啓祐は駅の壁に設けられた寺の広告看板を見つめた。



降りてしまった と、啓祐は思った。


衝動的な力にまかせて電車に飛び乗ったのはいいけれど
いざ、現場へ向かおうとすると、さすがに躊躇した。

それまでブラウン管の向こう側の
非日常的な世界でしかなかった“殺人現場”という響きが
急にリアルなものになって、啓祐の前にすっくりと立ったような感覚だった。



啓祐は駅のベンチに腰を下ろすと、ポケットから手紙を取り出した。

美佳が自分へと手渡した手紙。
あれは確か、桜が綺麗に散り、代わって柔らかな緑の葉が
初夏の光と風を爽やかに運び始めた頃だった。

封筒から広告の紙を取り出す。




つ きの うら こ こ からだ し



啓祐は無言で文字を見つめた。




何度も折りなおされたのだろうか。紙には無数にくっきりと線が残る。
啓祐はその線を辿るようにして、紙を折り始めた。

なんとなく予感があった。
啓祐の勘が外れていなければ、それは、
あるひとつの形を完成させるだろうと思った。


果たしてその通りになった。


啓祐の掌に、紙飛行機がひとつ折りあがったのだ。








ふいに、細い指が2本伸び、紙飛行機がふわりと宙へ浮いた。

驚いて顔を上げた啓祐の前に、美佳が立っていた。



























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15:02:34 | オリジナル小説 | page top↑
月の裏側 1
2006 / 07 / 17 ( Mon )
 
月の裏側 1

 
「小島美佳!」

形式的に今日も名前が呼ばれただけで
特に主のいない机を気にする事もなく
そのまま次の生徒の名前が呼ばれ
全員を呼び終えた担任が
静かに名簿を閉じる。

見慣れた光景。

窓際の一番後ろに設けられた彼女の席は
もうずっと長い間空席のままだ。

入学式。
その地元では、かなり名の通った高校の敷地内へ
彼女が足を踏み入れた時、
そこに走った一種異様な空気は

此処に居るべき筈の人間ではないものが、居る。

そういう空気だった。



小島は、荒れていることで有名な中学の出で、
その中でも特に目をつけられていた生徒だったといってもいいだろう。

茶髪というよりは、
脱色を続けるうちに透ける様な金髪になったのであろうそれは
まるで人形の髪かなにかのようで、
風にゆらゆらと頼りなく揺れる様が、彼女の生き方そのものに思えると
ある教師がため息混じりに呟いていたのを、啓祐は記憶している。


彼女は中学2年生の中頃から、既に殆ど学校には通わなかったらしい。

特にイジメのようなものがあったわけではなさそうだが
陰湿であるイジメというものは、表面化しないから陰湿なのであって
真実はおそらく、彼女と彼女に直接的に係わった者だけが
知るところなのだろう。


そんな美佳が、評判の進学校に入学した。


何かの間違いだろうと、誰もが訝った。

受験させたのは、当時美佳の担任だった音楽担当の教師だったという。


主要科目以外の教師ならではの暴挙が快挙に変わった瞬間だと
一部の教師の半ば差別的嘲笑を含む賛辞の中、
合格の報告に久々に学校を訪れた美佳は
職員室にいる全ての教師に向かい、しっとりと微笑んだそうだ。


その微笑みは背筋を凍らせるに充分だったらしいと、
何処かから仕入れてきたらしい噂話を、
友人の佐伯一史が興奮気味に話すのを
啓祐は大仰に驚いては、興味深げに聴く振りをしていたが、

内心は、早く話題が他に移らないかと
そればかりを考えていた。


実は、啓祐は美佳がとても苦手だったのだ。
そしてそれにはある理由があった。


啓祐は、入学して間もない頃、電車の中で美佳に
突然手紙を手渡されたことがある。

最初はラブレターかと思ったのだが
まだ同じクラスになって幾らも経たず
しかも美佳が学校に顔を出したのは、ほんの数回のこと。

啓祐に手紙を手渡したその日でさえ
学校のある駅の2駅手前で突然降りてしまい
そのままその日も学校には姿を見せなかった彼女。

恐らくまだ、美佳にとって自分は
顔と名前すら一致する存在にはなっていないだろうと
啓祐は思ったし
ましてや自分を好きになる理由など皆無であろうと確信した。

啓祐が美佳に向かい、
とりあえず何かを話そうと顔をあげたその時

背後から覗き込んだ佐伯の
「なんだよ、それ、ラブレターかぁ?」という
やたらと大きな声に、啓祐は必要以上に驚き

「そんなんじゃないよ」と答え
慌てて手紙を鞄の中に仕舞い込んだ。


怪しむ佐伯が啓祐を更に追求しようと
鞄の中を覗き込むような仕草を見せ、

大きな声で周りの学生にも聴こえるように
「須藤が女にラブレター貰ったぞ!」と
愉快そうにからかい始めた頃、

それまで黙ってその様子を見ていた美佳が
ふいに、こう言ったのだ。




「ねぇ。月の裏側を見たいとは思わない?」







その不可思議な台詞に、それまでざわめいていた車内は
一瞬でしん・・と静まり返った。

美佳は啓祐と佐伯の顔を交互に見比べている。


佐伯はその絡みつくような視線を振り払うように
顔の前で数度、大袈裟に掌を横に振ってみせ


「生憎、俺たちはおまえとは生きてる世界が違うもので」

と、刺すような視線で美佳を睨みつけたあと
啓祐の腕を強引に引っ張ると、さっさと車両を移動してしまった。


数名がつられて、佐伯と啓祐のあとに続いた。



美佳はその後ほどなくして電車を降りた。
学校のある駅ではなく。

ホームに佇み、電車を見送る美佳を啓祐は見ている。

確かに目が合った。
微かに美香が、自分へと微笑んだような気がして
慌てて視線を逸らせたのだが。



ふと隣を見ると、佐伯もじっとホームを見ていた。
美佳を見ていたのだろうと思った。
いつものおどけた表情とはうってかわって
眉を顰め、醜悪なものでも見るかのように複雑な顔をしていた。



「月の裏側って・・なんのことだろうな」

澱んだ空気を変えようと、啓祐は佐伯に
さきほど美佳が呟いた台詞を話題に上げた。

しかし佐伯はチラリと啓祐を横目で見、
どうでもいいとでも言った感じで、「さぁな」と投げ遣りに吐いたあとで

「頭がおかしいんだろ」と、さっさと話をまとめてしまい
美佳の話題に終止符を打ったのだ。






その佐伯が、それ以降
事あるごとに小島美佳の噂を何処かから仕入れては
啓祐に話して聞かせるようになった。

噂のほとんどは、本当なのか嘘なのか
よく分からないほどに、
あまりに啓祐の現実とはかけ離れた出来事であることが多く

啓祐がどう答えていいものやら迷うような仕草を見せるたびに
佐伯は可笑しそうにゲラゲラと笑い、

「ま、俺らとは無縁の世界の出来事ってヤツだ」と
一方的に話を〆ると、いつもの佐伯に戻るのだった。



そう
美佳の話をする時の佐伯もまた、啓祐にとり、苦手であったのだ。

何処が、と言われると正確に答えることはできないのだが
何処かが、何かが違う気がして、いつも気持ちの悪い灰鼠色をしたものが
胸の中で燻るのを啓祐は感じていた。


美佳は、あれからぷっつりと学校に姿を見せなくなった。







それから数週間が過ぎた頃、ある事件が啓祐の耳に飛び込んできた。

隣町の女子高に通う生徒が水死体で発見されたというのだ。

着衣に乱れがあったらしい。
暴行のあとで殺害され、死体はそのまま池へと放り込まれたと警察は見ているようだと
ワイドショーのレポーターが淡々と小雨降る現場から生中継で伝えている。

よく見るそのコンクリート塀脇の張り巡らされた有刺鉄線。
その先は、
腰のあたりまで鬱蒼と茂る草が蔓延る荒れた空き地が広がり
更に先へと進めば澱んだ沼のような池があることを、啓祐は知っている。

有刺鉄線の一部に抜け穴のようにできた空間があることも。




それは、嘗て、佐伯が教えてくれた。
いつから吸っていたのか、そこで佐伯は煙草に火をつけ
旨そうに煙を吐いた。

手に握り締めたライターが妙に高級そうに見えたので
啓祐が尋ねると、佐伯は「オヤジのを失敬してきた」と笑った。



佐伯はその日、風邪で学校を休んでいた。

まるで代役を務めるかのようなタイミングで、美佳が顔を出した。

教室に入ってきた美佳はそのまままっすぐと
啓祐の席へ向かい歩いてきた。

啓祐は動けない。美佳の目はとても怒っているように見えた。

同時に、泣き出しそうに哀しい眸に見えた。






「ねぇ」と、美佳が啓祐に呟く。




「ねぇ。あの手紙、ちゃんと読んでくれたの?」







啓祐が「あ」という顔をしたのを見た瞬間、
美佳は大きくゆっくりとため息をついた。



啓祐が鞄の奥で縮こまりボロボロになった手紙を
ようやく探し出し取り出したその時には、

美佳の姿はもう教室になかった。


窓から校庭を見ていた女子たちが、ヒソヒソと話す声で
美佳が校門を出ていくのだと分かった。



封筒には淡いピンクの花が添えられていた。
それが美佳のイメージとかけ離れているようで
意外にしっくりくることに、啓祐は戸惑った。


もしかして、これはラブレターだったのだろうか?



その可愛らしい封筒に入っていた便箋が、
広告のような紙であるのを知った時、嫌な風が
啓祐の頬を通り過ぎた気がした。



その紙はスーパーのちらしかなにかのようで
食品や生活用品の写真の下に
均一、激安、広告の品などという文字が並んでいる。


紙は一度折られた形が広げられ
再び今度は便箋に収まるように、四角く折られたようであった。


啓祐はその四角く折られた広告を、開いてみた。

別段これといって、なんの変哲もない広告だったが
ふと右上の日付を見た時、それが入学してまだ間もない
4月上旬のものであることに気づく。

そう、電車の中で美佳が突然
啓祐に手紙を渡したあの日あたりの日付と一致する。



嫌な予感がした。



広告を裏返した啓祐に戦慄が走る。





広告の裏は白無地になっていて、
そこにかすれるような赤錆色の文字で


つ きの うら こ こ からだ し



と、書かれてあった。







啓祐は手紙を制服のズボンのポケットに無造作につっこむと
そのまま席を立ち教室を飛び出し、美佳を追いかけた。




















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