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17:06:49 | | page top↑
月の裏側 4
2006 / 07 / 30 ( Sun )
 
陽炎がゆらゆらと立ち昇る道を、
啓祐は美佳に少し遅れて歩いていた。

狂ったように啼く蝉の声が、
ふいに鳴り響く救急車のサイレンを前に、しんと静まり返る。

救急車が去ったあとの突然の静寂は、
まるで小さな町の全ての時間を
止めてしまったかのような錯覚を 啓祐へと齎した。


誰かが庭の植木に水を遣っていて、
時折柵を越え、ホースの水が勢いよくアスファルトに飛び散る。

しかしそれは落ちた瞬間に、音もなく色濃いシミとなり
紺藍の路面へと吸い込まれるように、ただ消えていくだけだ。



再びに、驟雨のように 蝉の声が降り注ぐ。





啓祐は、美佳が例の殺人事件があった場所へと
自分を連れて行くものだとばかり思っていたので
目的地とは違う道へと折れた美佳を見て
一瞬、歩幅を緩めた。

啓祐のそんな一瞬を彼女は見逃さなかったようで
立ち止まると、啓祐を振り返った。


「今は、ダメ。マスコミがウロウロしているわ。」


うろたえる啓祐が言い訳をしようと口を開く間もなく
彼女はそれだけを早口で告げると、くるりと背を向けて
また黙々と歩き出した。


小さな 細い肩だった。




「此処よ。上がって。」



美佳が啓祐を促した場所は、今にも崩れ落ちそうな古い賃貸アパートで
屋根からずり落ちそうに傾いている看板が、
どうにか「蓮見荘」という文字を啓祐に判別させた。


饐えたようなニオイが鼻につき、思わず顔を顰めた啓祐を
美佳は横目でチラリと見ただけで
トントン・・と錆びた手摺をリズムよく叩きながら
勢いよく階段を駆け上がっていく。


啓祐も慌てて美佳を追いかけた。





「・・いる?」

ドアを開けると同時に、美佳は小さく呟いた。

返事はない。
代わりに、熊の唸り声のような音が啓祐の耳に届いた。


その音を耳にした途端、美佳が表情を曇らせたのを啓祐は見た。


「上がって。煩いのが一人、寝てるけど。気にしないで。」


美佳はそう言うと、スリッパを啓祐の前にすっと並べ
自分は靴下を大儀そうに脱ぐと、部屋の奥へと走っていった。

薄暗く狭い廊下が、ミシミシと音を立てる。
天上にはカビのような黒いシミが幾つもできていて、
壁はところどころボロボロと剥がれ落ちていた。

異臭がする。


熊のような唸り声は廊下の突き当たりの部屋から聴こえてくるようだった。
それが人のイビキであることに、じきに啓祐は気づいた。

この家には、他に誰かがいるのだ。





美佳が盆に麦茶と菓子を乗せて、歩いてきた。

ぼんやり突っ立っている啓祐の脇をすり抜け、足で器用に襖を開け
部屋の隅に置かれた小さな卓袱台に盆を置くと、
彼女は啓祐を振り返り、呆れたように声をかけた。


「なにしてんの?さっさと入りなよ。」



扇風機のスイッチもまた、足で入れた美佳は
麦茶の入ったグラスを頬に当て、暫しその涼を感じたあと
ゴクリとひとくちそれを飲んだ。

「わらびもちでもあれば 良かったんだけど。」

スナック菓子の封を切り、美佳は口に銜えた煙草に火をつけた。

ふ~・・・っと深く吸い込んだあと、ゆっくりと煙を吐き出す。

扇風機の羽がその煙を捉え、啓祐の鼻先へと運んだ。


「コホッ・・・!」

思わず咳き込んだ啓祐を、美佳は唖然とした顔で見ていたが
次の瞬間、クスクスと実に愉快そうに笑い出した。




「須藤くんって、ほんと、佐伯くんの言ってた通りの人ね。」




たかが煙草の煙が風に乗り流れてきたぐらいで咳き込んでしまった自分を、
啓祐が猛烈に恥ずかしく思ったのは、
おそらく美佳が唐突に、佐伯の名前を出したからだろう。

あの日、佐伯は啓祐の目の前で、とても旨そうに煙草を吸ってみせた。
一度もむせることもなく。

美佳はそんな佐伯の姿を知っているのではないか、と
何故か啓祐は思った。
そしてそれは同時に、自分が佐伯より
男として劣っているかのような気持ちを、啓祐に齎した。

(美佳は、自分をバカにしているのではないか。)
そんな卑屈な想いが、啓祐に激しい劣等感を抱かせたのだ。


啓祐がいつまでも押し黙ったままでいるので、美佳は悪いと思ったのか
まだ長い煙草の火を灰皿にこすりつけ急いで消すと
「ごめんね。煙かったよね。」と、急にしおらしく呟いた。



窓に吊るされた風鈴を、時折風がチリリと鳴らしていく。





「暑いでしょ? 悪いけどここ、クーラーないんだ。」

美佳は、啓祐の顔を覗きこむようにして 扇風機の設定を「強」へと変えた。




「ここは・・小島さんの・・」

家なのか?と、啓祐は言いかけて、ふと口を噤んだ。

美佳の横顔が、それ以上の質問を許さないといったふうに、キリリとしたのを見たからだ。



「マスコミは、2、3日もすれば此処を離れると思うわ。」

美佳は啓祐の声を無視して、話し出した。


「殺人事件とはいっても、小さな町の小さな事件だし。
女子高生が一人、暴行されて殺されたって以外は
特になんの面白みもないニュースなんだろうし。

 それでもね、大きな事件がなにもなければ
いつまでもしつこく騒ぎ立てるんだろうけれど、
今日、例の婚約発表があったじゃない?
あれで一気にワイドショーはそれ一色よ。」


「そうなんだ。」


「・・呆れた!知らないの!?朝からずっとそればっかりやってるじゃん!」



美佳は心底驚いたといった顔で、啓祐を見つめた。

「ほんとうに、須藤くんって・・」
「悪かったな」
「別に、悪くはないけど。ただ・・」
「佐伯の言うとおりだって、言いたいんだろ。」
「・・どうしたの?」


自分でも意外な感情だと啓祐は思った。
頬のあたりが、
カッと熱をもっているのが分かったからだ。

これは怒りなのか、それとも恥ずかしさなのか。
奇妙な想いに、啓祐は自分でも戸惑っていた。

それは表情となって、啓祐の顔に如実にあわられていたようで
美佳が自分の顔を食い入るようにじっと見つめているのが分かるのだが、
啓祐は感情をうまく遣り繰りすることができず、
じっと無言で下を向いていた。



「佐伯・・一史」

ふいに美佳が呟いた。


顔を上げた啓祐に、驚くほど冷たい美佳の眸が、突き刺さる。



「あんなヤツ。くんづけで呼ぶ価値もない。」

美佳は、吐き捨てるようにそう言った。



「・・どうして?」





美佳はその質問には答えずに、呟いた。


つ きの うら こ こ からだ し ・・」




「ねぇ・・須藤くん。」



微かに、12時を告げる工場のサイレンの音が聴こえたような気がした。






「・・この紙飛行機は、誰が折ったと思う?」


美佳の黒い大きな眸が、僅かに震えた。


「誰か・・・って。閉じ込められている人なんじゃないの・・?」

啓祐はずっと考えていたことを、口に出した。


つ きの うら こ こ からだ し 

「月の裏ってのが、なんのことかは、俺には分からないけどさ。
ここからだし っていうのは、“ここから出して”って
ほんとは、そう書きたかったんじゃないの・・?」

「何処かに・・誰かが、例えば閉じ込められてるとか・・さ。」


美佳はじっと黙ったまま、啓祐を見つめている。


壁のデジタル時計が、工場のサイレンに少し遅れて、今 12時を告げた。




「まぁ・・俺の単なる想像でしかないけど。」


啓祐は急に自分の陳腐な推理が恥ずかしくなり、
ふたつ、みっつ、スナック菓子を口へと放り込むと
麦茶で一気に流し込んだ。



汗が滝のように滴り落ちる。
外にいるほうがマシなのではと思われるほど
“蓮見荘”の二階、ぼろアパートの一室は、異様な暑さだった。





「・・ま・・・・やね。」


美佳の小さく呟く声を、クマゼミの輪唱がかき消してゆく。


「え?なんか言った?」


啓祐は慌てて聞き返した。



「・・内山彩音」

「うちやま あやね?」

「そう。内山彩音。」

「・・それが閉じ込められている人?」

「なに言ってるの? ・・殺された子よ。」

「あ、そうなんだ。」

「うん」

「ふぅん・・。」





聴いたことのない名前だった。

自分のクラスの女子のフルネームすら怪しい啓祐にとって
隣町の女子高に通う生徒の名前など、
いくら事件に巻き込まれ死んだからと言っても
いちいち憶えていられるものではなかったのだ。



美佳は再び煙草に手を伸ばすと、
何処かの店の名前が刻まれたライターで火をつけた。


啓祐はふと、あの日佐伯が火をつけた
高級そうなライターのことを思い出した。

父親のライターだと笑って答えた佐伯の顔も。



「佐伯 今日、学校 休んでたな。」


扇風機が首を大きく振る度に、また啓祐の鼻先に、煙草の煙が運ばれてきた。
今度はうっかり深く吸い込まないように、
彼は心なしか息を止め、どうにか煙をやり過ごした。


美佳はゆっくりと煙を天上に向かい吐き出すと、

「理由、知ってる?」 と、啓祐に問うた。



「風邪だよ。先生がそう言ってたよ。」


「風邪じゃないわ。」

「え?」

「風邪じゃない。」

「・・どういう事?」




美佳は自分の吐き出した煙の行く先を確かめるように目で追ったあと、
灰皿に煙草を置いて、啓祐の前ににじり寄った。



「・・誰にも言わない?」

「・・え?」


美佳は、小指を出した。

その細い小指を見た瞬間、
さっき、蓮見駅のホームで彼女が
缶コーラのプルトップを引き抜いたあと、すっと小指へとはめた
あの流れるような仕草を、啓祐は思いだした。

啓祐の胸のあたりで、ツクンと奇妙な音がした。




「須藤くんは、誰にも言わないよね?」

頷くよりも先に、美佳は強引に啓祐の小指に
自分の小指を絡めてきた。

啓祐の体内で、一気に血液が逆流を始めた。

ドクドクと血管を遡る赤い川。
啓祐は何度もそれを堰き止めようと
川の真ん中に大きな岩を置くことを試みた。

しかし大河となったそれは、もはや
なにもかもを砕く勢いで激しく流れ、

どんなに大きな岩を置いても、それは全て粉々の礫になって、
散り散りに赤褐色の濁流へと呑み込まれていった。










「佐伯は、今、警察にいるのよ。」









その時突然、襖がガラリと開き、
背の高い痩せた男が、部屋へと踏み込んできた。


美佳が慌てて煙草の火をもみ消すのとほぼ同時に
男の平手が美佳の頬を打った。


「てめ・・!オレ・・煙草吸っ・・んじゃねー・・!」



呂律の回らない舌で、男はワーワーと大声で喚きながら
美佳の髪を掴み、廊下へと引きずり出した。


突然のことに、啓祐は硬直したままだ。


「やめて・・!友達が来てるのよ!!
 煙草は謝るから・・!あとでちゃんと買ってくるから・・・!」


事の異常に気がついた啓祐が、とにかく美佳を助けようと
振り上げた男の拳を掴んだ瞬間、彼の腹部に激痛が走った。

男が思いっきり、啓祐の腹を蹴り上げたのだ。




床に崩れ落ちる啓祐の耳に届いた美佳の悲鳴を、
やはり蝉時雨がかき消して、
それは いつかの光景を、啓祐に思い起こさせた。



絵画室の片隅のイーゼル。
立てかけられたカンバス。

真っ青に描かれた空を、誰かの持つ筆先が
ただただ黒く塗りつぶしていく。

叩きつけるように、投げつけるように
パレットに捻り出された漆黒の絵の具が
まるで女の黒髪のようにカンバスの中で踊りだす。


ほんの僅か小さな青空を残したカンバスを前に
降り出した突然の激しい雨をかき消したのも、確かに蝉時雨だった。







「・・啓祐!・・啓祐・・!」





小さな雨粒が ぽつりとひとつ 右頬に落ちたようなそんな気がして
啓祐は、俄雨ならいいのにと、ぼんやり考えていた。



―― 傘がない。

















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