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08:39:20 | | page top↑
滲んだ黒点
2006 / 07 / 15 ( Sat )

無造作に契り放り出した綿飴のような雲が
白群の空にぽかりと浮かんでいる。

茹だるような7月。
蝉時雨が全ての音を呑みこむかのようだ。

団扇がわりにした絵本をパタパタとさせては
僅かばかりの風に涼を取ろうとして
それがなんの足しにもならないことにため息を吐き、
そろそろ迎えの母親の最後の波が来る頃だなと
愛美は窓辺を離れようとして、そこに女の子の姿を捉えた。


女の子は、窓際に置かれたダンボールを椅子代わりにして座っていて
爪の間に何かが入り込んだのか、懸命に取ろうと試みている。

「粘土が入っちゃったの?」と愛美が愛想よく笑いかけるのに
微笑みで答えようとした女の子の目が微かに泳いだ。

ちょうど保育所の門を潜り抜けるようにして
彼女の母親がこちらに向かい歩いてくるのを見つけたのだ。

途端に女の子は、神妙な顔つきで
決められたロッカーから鞄や水筒や帽子をせっせと取り出し
お帰りの用意を始め出す。

やがて教室に辿り着いた母親が、抑揚のない声で娘の名を呼んだ。

「はい」と礼儀正しく答え、女の子は小走りで母親の元へと走り寄る。



担任が事務的に連絡事項を伝え、さよならのご挨拶をする間
愛美は盗み見るようにして、親子の様子をじっと観察していた。



ここ数週間、保育所で懸念されている事柄と言えば
専らその、無心で粘土をほじくりだろうとしていた
3歳児の優奈ちゃんのことであり。

この春から新任の保育士として此処にやってきた愛美にとり
初めての教え子である優奈ちゃんは、
くるくるとよく動く愛らしい瞳が印象的な利発そうな女の子で

4月、慣れない保育士業にてんてこ舞いな愛美の緊張を
優奈ちゃんの無垢な笑顔がどれほどに癒してくれたかを
時々思い出しては温かな気持ちに包まれていた愛美は

最近の優奈ちゃんの塞ぎこんだような様子に
早くから気がついていたうちの一人だった。



そういえば・・と愛美は思う。


春、どの子も母親と離れるのが嫌で、泣きじゃくる朝の光景。
途方に暮れたような顔をして柵へとしがみ付く子に
一人ひとり声をかける先生達に混じるようにして
泣いている子を慰めていた幼い優奈ちゃんの姿。


あの時愛美は、自分自身のことで精一杯で
深い意味など何も考えずにいたけれど

今、改めて思い返せばそれは、一種異様な光景とも
捉えることができるような気がした。


まだ3つのほんの小さな女の子が
自身の寂しさを後回しにしてまで
誰かを慰める術を心得ているとは到底思えない。

優奈ちゃんは、寂しくはなかったのだろうか。
母親と離れる時間を。


お迎えの時間が来ると、そわそわしだすあの仕草は
母親を待ち侘びている気持ちがそうさせているのだと
保育士一同は見ていた。

しっかり者の優奈ちゃんも、やっぱりお母さんが一番なのねぇと
同僚が言うのを、なんの疑いもなく聞いていたあの頃の愛美。


あれは・・待ち侘びていたわけではないのかもしれない。
今、愛美を初めとする保育所の関係者は、皆一様にそう思っている。



優奈の母親は入梅の頃、離婚が成立し、
それと時期を被せるようにして、
小さな子を不器用に抱きかかえ、のそりと立つ若い男の姿を
迎えに来た軽自動車の脇に、見るようになった。

男は夜の仕事なのか、若しくは無職なのか
面倒くさそうな仕草が特徴で、いつも保育所前で煙草をふかしては
それを道端に投げ捨てて車に乗り込むので

何度かさりげなく保育士が母親に注意を促すように求めたが
母親は頷くばかりで男に伝えるでもなく、
ある日男の姿が車脇から消えた日に
これでいいでしょう?とでも言いたげな目で
車のほうを顎でしゃくって見せたことが
暫く噂になったあと

優奈ちゃんの表情に変化が現れたのだ。





小さな痣を小さな身体に見つけた時の戦慄を愛美は覚えている。

優奈ちゃんが咄嗟にそれを隠そうとシャツを手繰り寄せたことも。





どんな取り決めが、母親と優奈ちゃんの間で
         母親と男の間で
         男と優奈ちゃんの間で

交わされているのかを正確に知る者はいない。



さりげなく優奈ちゃんの身に起きているであろうことを
訊きだしてみようと何名かのベテラン保育士が心をくだいたが

優奈ちゃんの真一文字に結んだ唇から
言葉が発せられることはついになかった。










手を繋ぎあうわけでもなく、並ぶ二つの影。

早足の母親に懸命に追いつこうと走る優奈ちゃんの小さな背中。


何処かで夏祭りがあるのか、浴衣姿の子供たちが
母親に手をひかれ、父親に肩車され、
歓声をあげながら、暮れなずみ始めた町に
くっきりと影を落としている。


ふと立ち止まりそれを見つめる優奈ちゃんに
突き刺すように鋭い声が続けて2つ。








遠ざかるにつれ、親子の姿は滲んだシミとなり
やがてひとつに重なる小さな黒い点となった。

愛美はその点が見えなくなるまで、いつも此処から見送る。

それは、千切れかけた母娘の絆をかろうじて繋ぎ合わせている
最後の点であるような気がして。


その点の中でだけは、優奈ちゃんが安心して
微笑んでいられるような気がして。


愛美は今日も門脇に立ち、いつまでもその点を
夕闇の向こうへと追いかけるのだ。




















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14:53:22 | ショートストーリー | page top↑
消息
2006 / 07 / 15 ( Sat )
 
俄かに空が曇り、大粒の雨が横殴りにアスファルトへと落ちる。
喫茶店の窓硝子に無数の水滴が散らばるのを、
冷めた珈琲を啜りながらぼんやりと眺めていた。

遠く西の空までも、灰鼠色にどんよりと低い雲に覆われているから
暫くはこの雨も止むことはないだろう。

読みかけていた本の頁に挟んでいた栞が
床にはらりと落ちてしまい、何処までを読んだのか
確認しつつ頁を繰る。少し億劫な気持ちになる。


彼女のことを思い出していた。



3両目の電車。凭れ掛かるように窓辺へと立ち
陽光に眩しく反射する頁を庇うように傾けながら
ひたすら文字を追っていた彼女は、

あの夏の日を境にして、忽然と姿を消した。



ホームの端に佇んで、
去った電車を切なそうに眺めていたのを
数人が目撃している。

恋人が乗っていたのか。
想い人が乗っていたのか。
肉親か、それとも―


様々な憶測が飛び交う中、どれもが噂としてやがて静かに沈み
残された記憶だけが哀しいほどに、心に残った。



そう、きっと、多分、好きだったんだ。



くっきりと映し出された等身大の彼女の残像を
夢の中で、飽きるほど、繰り返し抱きしめる。


けれど、彼女はもういない。
現実の生活の、僕の見る風景の何処にもいない。


彼女が頁に落とした視線が、ほんの僅か
過ぎる車窓の風景の、ある場所に釘付けになる瞬間があった。

視線の先、なにを捉えているのか、僕は長い間分からなかった。


それが小さな駄菓子屋の看板であると知ったのは
つい数日前のこと。


店はシャッターが下りていて、雨に濡れ、滲んだ文字が
かろうじて閉店の知らせを伝えていた。



店主は、夜逃げ同然に消えたそうだ。
消息を知る文房具屋のおばさんの物憂げな顔。

重い唇を開き、発しかけた言葉を遮るように犬が吼え
客が来て、それきりとなり、

心にすっと走った嫌な痛みが、コールタールの紫紺に溶けて
それを夏の日差しがジリジリと焼き尽くす勢いだった。




臨時バスが出る。




雨の去った街に夏の日差しが戻り
待ち侘びたように蝉がワサリと啼き出した。

クマゼミの降り注ぐような合唱を頭上から浴びながら
僕は長い坂道を登っていく。


あの角を曲がれば、公園があり
彼女がよく座っていたベンチがある。


たった一度、たった一言だけ
偶然が齎してくれた、奇跡的な言の葉を


今も時々思い出しては、時計の針を逆に回して
物思いに耽るんだ。







君は多分、もう、この世界の何処にもいない。









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01:51:50 | ショートストーリー | page top↑
2006 / 07 / 14 ( Fri )
 
満月が朧ろに東南東の空に滲む頃
転がる3本目の缶に触れる指先をぼんやりと見ていた。


幸せと寂しいが同居している心を
冷やすべきか暖めるべきかで出遅れた好奇心が
行くあてをなくし、手持ち無沙汰で今、ホームの端に佇んでいる。


快速電車を見送れば、準急が滑り込むから
前から4両目に乗り込めば、ちょうど階段の手前で降車できる。


規則正しく滞りなく繰り返される日常に、隙間を作ることは許されない。
まるでエア・ポケットの如く現れる空域などまるで無意味であり
必要のないものは徹底的に排除することで、
誰もが心の均等を保っているのだから。


彼女が繰り返し唱えていたことと言えば
できるだけ傷つかずにあの橋を渡りたいということぐらいで

剥き出しの足をやたら気遣うくせに、スカートの裾が翻るのには無頓着で
大事なものを悉く見落としては、中途半端な達成感を得て微笑んでいる。



幸せと呼ぶにはあまりにお粗末な感情に思えるのに
誰もがその粗末な欠片を拾い集めることに躍起になる。


居場所だ。つまりは。
何処かで誰かが知っていてくれる“自分”
誰もが結局はそれを求め欲し手に入れようと、奔走する。



待合室に並べられた鉢植えの緑に、細かい虫が無数に飛び交い
蛍光灯の無機質な白に照らされる数だけ
君の中にしっとりと、嘘が降り積もっていく。


いつまでも癒されることのないその寂しさは
根本を見つめ尽くすことから意識的に遠ざかろうとしている
君の弱い心が齎しているものであり

誰に抱かれても、誰に甘えても、決して手に入れられない安らぎは
いつしか君の横顔にくっきりと暗い影を落としていくだろう。




ひとつの嘘が、沢山の白い筋となって
水に注いだミルクみたいに細く細く広がるのを、ただ僕は見ていた。


彼女の唇を縁取る紅が、快速電車の過ぎた後のホームに散り
まるで彼岸花のように怪しげに咲き乱れては、
いつか線路脇へと弾けて消えた。




 


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22:06:32 | ショートストーリー | page top↑
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