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06:17:14 | | page top↑
月の裏側 5
2006 / 08 / 06 ( Sun )
まだらな褐色のシミが
徐々にひとつに重なり合っていく。

それが壁の
剥がれ落ち剥きだしになった部分なのだと気がついたのと同時に
気忙しい蝉の声が、啓祐の耳へと一気に飛び込んできた。


美佳の心配そうな顔が、自分を覗き込んでいる。




「え・・と」

何故自分が廊下に仰向けに寝ていて、美佳の顔を見上げているのかを
啓祐は暫くの間 ぼんやりと考えていた。

朧な記憶がひとつひとつ、見えない糸で次第にしっかりと結ばれていく。


そうだ。
突然、男が部屋に入ってきたんだ。
そしていきなり美佳の頬を打った。
彼女の髪を掴み、廊下へと引きずり出すのを見て
それを止めようと男の腕を掴んだ瞬間、啓祐の腹に激痛が走った。

その後の記憶はない。
ただ、美佳が必死で自分の名を呼んでいたような気がする。



(気絶なんて、16年間生きてきて初めての体験だな・・。)
啓祐は苦笑しつつ、身体をゆっくりと起こした。

「・・大丈夫なの?」
美佳が啓祐の身体を労わるように支えながら声をかける。

彼女の細い指が、啓祐の背に触れた瞬間 啓祐の胸はまた奇妙な音を立てた。
しかし次には汗ばんだ自分のシャツが気になり、
反射的に彼女の指を避けるようにして、背を凛とさせた。

腹に鈍い痛みが、僅かに走る。




「・・あの男の人は?」


廊下の奥、突き当たりの部屋のドアは開け放たれていて
其処に人がいる気配は、もうしなかった。


「出て行ったわ。・・煙草とお酒を買いに行ったんだと思う。」
「そうなんだ・・。」

「ごめんね・・。お腹、痛い?」


そう心配そうに呟く美佳の頬は、赤く腫れていて
少し乱れた髪と制服のブラウスの胸元が、
さっきのシーンを生々しく思い起こさせた。




「ね・・啓祐、歩ける?
もし良ければ、ちょっと場所を移動したいんだけれど・・。」
「あ・・うん。」


美佳がいつのまにか自分を「啓祐」と
親しげに呼び捨てていることに気づいた啓祐は、
恐らく紅くなっているだろう自分の顔を
彼女に見られまいと、俯き加減に返事をした。

気を失う前の、自分の名を懸命に呼ぶ美佳の
あの朧ろな記憶が確かなものであったことが
啓祐の顔をいっそうに紅潮させた。



美佳は、小さなポーチと携帯を持つと、足早に部屋から出てきた。


靴を履く前に、壁にかけられた小さな鏡で
彼女が一瞬前髪を直した仕草に、
啓祐はドキリとしてしまう。
そして胸の奥では、また奇妙にツクンと音が鳴った。

啓祐はその音を掻き消すように、
わざと乱暴にドアを開けると表へと出た。


風がさわりと啓祐の頬を撫で、通り過ぎる。

アパートの中よりも、
外に出たほうが本当に涼しいことに啓祐は苦笑した。
美佳もそう思ったらしく、
「ほんとあの部屋、サウナ効果だよね。
ダイエットには最適の空間よ。」と笑った。

此処に来た時と同じように、リズムよく手すりを叩きながら
勢いよく階段を、今度は駆け下りて行く彼女の背中を見ながら
啓祐も密かにトントン・・と真似をしてみたが、
そんな自分が急に恥ずかしくなり、
手すりに置いた手を無造作に滑らせると 美佳の後を追った。



啓祐の背を、蝉時雨が矢のように追いかける。




アスファルトから立ち昇る熱気に、二人は同時に声をあげた。

「うわぁ・・強烈。」


何処かの県で、今日は記録的な暑さを更新したと
おそらく夕方のニュースが伝えるだろうと、啓祐は思った。

聳え立つ入道雲が、夕立のひとつでも齎してくれれば
少しはこの尋常でない暑さもマシになるかもしれない、とも考える。

けれど、そうだ。傘がなかった。俄雨は困る。





「駅前に喫茶店があるんだ。そこならクーラーも利いてて涼しいから。」

美佳が啓祐を振り返りながら、そう言った。


「喫茶店・・って、俺たち制服だよ?・・それに今はほんとなら・・」

“授業中だし”と言いかけて、啓祐は言葉を呑みこんだ。
煙草の煙に噎せた自分を美佳が笑ったことを、思い出したからだ。


佐伯もよく、学校帰りに何処かでお茶でもしていこうと啓祐に声をかけた。
啓祐が悉く断るのを、心底呆れたような顔をして苦笑しつつ見ていた。




「・・いいよ。分かった、その店で話そう。」

啓祐は、できるだけ平静を装って、そう答えたが
内心は誰かに見られるんじゃないかと、ドキドキしていた。

そしてそんな自分を情けなくも思った。

それは啓祐にとり、初めての感情であり、
彼はそれを とても面白くない感情だと思った。






駅前の喫茶店は、
うっかりすると見過ごしてしまうのではないかと思うほどに
こじんまりとした小さな店で
表から見ると、
営業しているのかしていないのか判別がつかぬほどの薄暗い店内には
真夏の昼下がりに聴くにはなんだか不似合いなJAZZが流れていた。

気だるい空気がまったりと店を包み込んでいたが
それは客が出入りするたびに、
ガラガラと激しい音を立てるドアによって一瞬でかき消される。

啓祐は店のドアが開くたびに、いちいちドキリとさせられた。


美佳は店の奥のソファ席へと腰を下ろし
注文を取りに来たウェイトレスに
慣れた様子で「いつもの」と言ってみせた。

ウェイトレスは一瞬躊躇う素振りを見せたが、
カウンターからマスターの「了解」という声が届くと
チラリと美佳に目を遣り、テーブルを後にした。

美佳はどうやら、この店の常連客らしかった。


こんな時間に、
高校生が喫茶店に入って涼を取っているというのに
店員も客も誰一人、それを気に留める者はなく
それぞれがそれぞれの時間を思い思いに過ごしている。


啓祐一人が、落ち着き無く店の彼方此方に視線を這わせては、
注文したアイスコーヒーが来るのをひたすらに俟っていた。




「お腹、大丈夫・・?」 ふいに美佳が声をかける。

「あ、う、うん。大丈夫だよ。」
啓祐は、不安な自分の心情を悟られまいと虚勢を張るのに必死だった。

美佳はそんな啓祐に、
「平気よ。此処に知り合いがくることはまずないわ。先生もね。」
と、笑って言った。

なにもかも見透かしているような、 美佳の言葉に
啓祐は複雑な心境になる。

美佳の前では、全てが空回るようだった。うまくいかない。




アイスコーヒーが啓祐の前に置かれ、
続けて美佳の前には、
色とりどりのフルーツが乗ったタルトケーキの皿と紅茶が運ばれてきた。


「お腹空いてない?なにか注文すればいいのに。」

美佳にそういわれ、啓祐は急に空腹を感じた。

「と言っても、サンドウィッチとカレーぐらいしかないけどね、この店。」

「あ、カレーあるんだ。」

「あるけど・・。この暑いのにカレー食べるの?」

「カレーは暑い日に食べるのが、美味いんだよ。」


啓祐のその言葉に美佳はクスクスと楽しそうに笑うと

「マスター。カレーちょうだい。」と、よく通る声で注文した。







特急が通過するのに下りた遮断機の音が、微かに店内に届いた気がした。





「さっきの話、憶えてる?」


美佳はタルトの上の苺をつまみあげると
くるりと一度回したあと、舌先を絡めるようにして苺に触れた。

その官能的な仕草に、啓祐は慌てて視線を外す。




「佐伯が警察にいるって話。」 




客が一人清算を済ませ、店を出て行った。
ドアがガランゴロンと、一瞬けたたましい音を鳴らしたあと
再び店内に、静かにJAZZが流れ始める。






「警察って、ほんとに!?」
「シッ・・もう少し小さな声で話して。
マスコミが何処で聴いているか分からないのよ。」
「マスコミって・・。」
「これはまだ、マスコミも知らないことなの。」
「・・それをなんで・・小島――・・さんが知ってるんだよ。」


“美佳が”と一瞬言いかけてやめた自分に、啓祐は苦笑した。

友人がもしかして、警察にいるかもしれないという事実よりも、
今、自分の心を占めているものを知り苦笑したのだ。


啓祐にとり、“佐伯が警察にいる”という言葉は
あまりに現実からかけ離れているものであり、なんだかピンとこなかった。

ピンとこないと言えば、殺人事件が起きたことも
自分が今、その町にいることも、
もはや啓祐にはどうでもいいことに思えた。

そんなことよりも、さっき目の前で繰り広げられた
衝撃的な暴力シーンと美佳の悲鳴と
自分の腹に残った鈍痛のほうが、彼には確かな現実だったのだ。





「佐伯・・なんだか疑われているみたい。」




美佳は包み込むようにカップを持つと、紅茶を一口啜り
まだ熱かったのか、微かに顔を顰めると
テーブルにそっとカップを置いた。






「・・どういう意味?」
「そういう意味よ。」
「そういう意味って・・」
「そういうこと。」
「そういうこと・・って、なんだよ。」



「佐伯が、内山彩音を殺したんじゃないかって
警察が疑っているっていう意味よ。」






その言葉に、ようやく事態を呑みこんだ啓祐は
「はぁ!?」と素っ頓狂な声を出した。

その声は昼下がりの静かな店内に響き渡った。
数名の客が啓祐と美佳の座る席へ、迷惑そうに視線を投げた。


「あ・・!」 啓祐は思わず首を竦める。

美佳は人差し指を唇にあて、激しく啓祐を睨みつけた。

「・・ごめん。」 啓祐は小さく呟いた。




ウェイトレスがカレーを運んで来て、啓祐の前に置いた。


「食べれば?」

美佳はそう呟くと、ポーチから煙草を取り出して火を点けかけたが
さすがにこの時間この場所で、制服姿での喫煙はマズイと思ったのか
口に銜えた煙草を外すと、またポーチへと仕舞い込んだ。


慣れた手つきだった。
日常的に喫煙しているのだろうと思わせる仕草だった。

あの日の佐伯もそうだった。


カレーはレトルトをレンジで温めただけのようなものだったが、
突然襲ってきた空腹感に、啓祐はあっというまにそれを平らげた。


美佳はそんな啓祐をぼんやりと眺めていたが、
いつか視線を窓の外に移すと、すっかりと黙り込んでしまった。



長い長い沈黙だった。



小さな蓮見駅は、駅前だというのに人や車の往来も疎らで
窓の外に流れる風景を見つけ出すこともできない啓祐は
所在無げに、店の看板に書かれた文字を何度も繰り返し眺めては
時折美佳の横顔を盗み見るようにして時間を潰した。



“佐伯に殺人容疑がかかっている”という
ショッキングな美佳の言葉は、
それでもまだ啓祐にはどこか絵空事の世界で、

明日になれば、今までとなんら変わらない顔をして
「おはよう」と笑う佐伯を見られるだろうと考えるほうが
よっぽどしっくりとくるような気がしていた。



しかし、そう思った瞬間に、
啓祐の脳裏に殺害現場までのルートが
突然鮮明に浮かび上がったのだ。

コンクリート塀脇の有刺鉄線。
草の蔓延る荒れ果てた空き地。その先の澱んだ沼のような池。

張り巡らされた有刺鉄線に、抜け穴のようにぽかりとある
人ひとり分が通れるだけの 空間。


それは全て佐伯が教えてくれた。

沼の先は行き止まりだと、確か彼は言った。

コンクリート塀にでもなっているのかと啓祐は問うた。

佐伯は啓祐の質問に、
やたらニヤニヤとした顔で「極楽浄土だよ。」と答えた。
















美佳が窓の外を見つめながら、呟くように言った。

「・・佐伯は、内山彩音とつきあっていたのよ。」
















アイスコーヒーの氷が動き、カラリと響く音の
そのあまりの弱々しさと、美佳の消え入りそうな声が、

アスファルトを立ち昇る陽炎のように、
ゆらゆらと不安定なバランスを、啓祐の心へと運んできて


ふいになにもかもが、真昼の夢のように思え
啓祐は膝に置いた掌を 小さく抓って “今”を確かめた。




夢じゃない。

































 



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